来訪者
コンコン、とノックする音が響いた。
焼き尽くされて
夢を見ていた。
どこか懐かしい香りと共に、ロニーがいた。
「リウ、好きだ…好きなんだ」
抱きしめられた自分の体がぐにゃぐにゃと歪んでいく。
「ごめ…」
空いた口はキスで塞がれた。
息が、できない。
涙が止まらない。どうしてこんなに哀しいの。
落ちた涙が服に触れ、勢いよく燃え上がった。
炎が視界を呑み込んでいく中、誰かの悲鳴が聞こえた気がした。
ルカ
陣痛がきてからの時間は飛ぶように過ぎた。二人産んでいても慣れはしない。毎回、痛みで気が遠くなる。
気がつくと、産声が邸宅に響いていた。
「お母さん、頑張りましたね。元気な男の子ですよ」
奏女のヴァレリアが、取り上げてくれた赤ちゃんをそっと産衣に包んでくれた。
疲れ切った体で我が子を抱く。群青色の瞳がこちらを不思議そうに見つめた。
嗚呼、やはりーー。
心の中で色々な思いが混ざり合い、涙が一筋流れた。
「リウ、頑張ったね。大丈夫?」
「うん…」
ロニーは汗ばんだ額に張り付いた髪を整え、涙をそっと拭ってくれた。
「名前は、どうする?」
再度赤子の瞳を見つめた。
「…ルカ」
迷いは、なかった。
「ルカ…いい名前だね。またリウに髪色似ちゃったなぁ」
「髪の遺伝子だけ強いのかもね」
「目の色は、俺とリウの間の色だね」
「うん」
ロニー、本当にごめんなさい。
心の中で、何度目かわからない謝罪をした。
ドアがバタンと勢いよく開き、二つの小さな影が駆け込んできた。
「やった! 弟だ!」
「かわいい…!」
ガッツポーズで喜ぶマリンと、赤子に感動するスノウ。
「名前はルカ。光っていう意味なんだよ」
へぇー、と納得するスノウの横で、マリンはルカの頬をちょんちょんとつついていた。
「早く大きくならないかなぁ。一緒に探索したい」
「ふふ、今生まれたばっかりじゃない」
マリンにとって、妹が生まれた時とはまた違う感覚なのだろう。同性の兄弟を以前から望んでいただけに、上機嫌でルカを見つめていた。
スノウは自分より年下の存在が初めて出来たことに、驚きと関心を寄せているようだった。そっとルカと手を繋いでは、にこにことしていた。
「では、私はこれで」
ヴァレリアが部屋を後にした。
「ロニー、ずっと付いていてくれてありがとう」
「俺に出来ることはこれぐらいだからね。リウ、少し休む? 子供達は俺がみておくよ」
「うん、そうしてもらえると助かる」
3人と1人が部屋から居なくなり、静寂が訪れると、急に眠気が襲ってきた。
皆に愛され、産まれてきた子。
絶対に幸せにしなければ、と誓いながら眠りについた。
農場管理会
彼女はふう、とため息を一つつくと、大きく背伸びをした。
「さーて、仕事の時間だ。ま、リウはお休みしな」
「いや、それは出来ないよ。今は人手不足だから、自分の役割は果たさないと」
言いながら、水桶に手をかけた。
だが、その手は誰かに優しく包まれ制止された。
「そうよ、リウちゃん。赤ちゃん大事にしなくっちゃ」
「ウルスラ…」
「こんな寒い日は、暖かくしてお家にいるものよ?」
農管の大先輩であるウルスラ・アブリソコフ。彼女は目尻の皺を深くし、微笑んだ。
「…でも、できる限りのことはさせてほしいの。まだ大丈夫だから」
ぽん、と肩に手を置かれた。振り向くと、ホセ・イバン・アッカーがいた。
「俺達だって、何年もやっているんだ。任せてくれよ」
「ホセさん…」
二人分の仕事くらいは朝飯前、と彼は親指を立てた。
「そうそう。十日分の分担表、書き換えておいたよ」
「サンチョ君…」
サンチョ・コールスが綺麗な字で書き直された分担表を掲げ、にこっと笑った。
来年も引き続き副代表を務める彼は、とにかく真面目で働き者だ。
これからもお世話になるのだろう。
「リウちゃんがしっかり休んでくれないと、オレも代表に昇進出来ないしな! なーんて。元気な赤ちゃん産めよ」
「ドミニクさん…」
ドミニク・プレガーは豪快に笑うと、ウインクを一つくれた。
持ち前の明るさで農管を引っ張ってきた先輩だ。
「ありがとう…皆。一番大変な時に、ごめんなさい」
「しっかり休んで帰ってきなよ、農場代表!」
「はい!」
今ここに来ていない人達にも、仕事を任せることになるのだろう。
ありがとう。
心の中で、何度も繰り返し呟いた。
身重と農場
グローブの下でかじかむ手をさすりながら、空を仰いだ。
雪が、粉砂糖をまぶすように降っている。
「はぁ…今年は寒いなぁ」
近くの井戸から水を汲み、ラダ小屋の前まで持ってきた。
妊娠中の体では、水桶1つが限界だった。
いつもなら人員が揃っている農場管理会も、今年は次々と亡くなり、減ってしまった。
分担を割り当ててはいるものの、一人あたりの仕事の負担は増えるばかりだった。
新しい年になれば、また人員が揃う。それまでは、出来る限り頑張らなくては。
「ちょっと、リウ! あんた何やってんの」
「ああ、カピトリーナ」
彼女は腰の脇に手を当て、つかつかと歩み寄ってきた。
「身重のアンタは仕事しちゃだめ。もうすぐなんでしょう」
「そうだけど…」
続きを喋る前に、カピトリーナがそっと近づき、耳打ちしてきた。
「それよりアンタ。今のお腹の子って…まさかとは思うけど、その、違うよね?」
「…えっと…その、まさかかもしれない」
「どっひゃー!」
彼女は目を丸くした。
「それ、皆にバレたら大変なことになるよ。ブヴァール家にとっちゃ、一大事さ。ゴシップ掲示板レベルだよ」
「掲示板どころじゃないよ…」
気が重くなるのであまり考えないようにしていたが。
ブヴァール家に知れたら、出禁もいいところだ。
そうなれば祖国に帰るか、アリアの住む国に行くしかない。
二度と家族に会えないかもしれない。
アンガスもどうなるか分からない。
それが、罪への制裁ーー。
「…覚悟は、出来ているよ。今更戻れないしね」
「…それもそうだね。あたしに出来ることがあったら、いつでも言いな」
「ありがとう、カピトリーナ。貴女が居なかったら、私、どうにかなっていたかもしれない」
自分の弱さは分かりきっている。
逃げ場を作ろうとしてくれる彼女の優しさに、頭が上がらなかった。
日記と記憶
帰宅すると、陽はもう沈みかけていた。
家の者は誰もいなかった。
西日に照らされた本棚に、手を伸ばした。
手に取った本は、赤い装丁に銀色の文字が並んでおり、レシピ帳と書いてあった。
レシピ帳とは名ばかりだ。
魔力を込めると、銀色のインクは消え、日記帳、と金色の文字が浮かんだ。
何年も昔、魔力で動く自動人形が流行っていた頃、よく用いられた手法だった。
術者が許可する者しか見ることの出来ないインク。
この国では廃れてしまった技術だが、祖国にはまだそれが残っており、使い続けてきた。
「アンガスと出会った頃…」
5年も前のページを開くと、どこかで嗅いだことのある香りがした。
『絵本の王子様みたいな人と出会った。花束を貰った。』
懐かしくて、思わず笑みが溢れた。
ページをぱらぱらとめくった。
『今日はアンガスさんとハーブ摘みをした。横顔も素敵だった。』
なんだ、日記にも書いてあるじゃない、と納得した。
忘れっぽくなるにはまだ早い年齢だと思っていたけれど。
『ロニーという人に出会った。紹介されてきたんだって。ロニーも素敵な人。』
『明日はアンガスさんと幸運の塔で約束。』
その後のページは、1ページ分真っ白だった。
「どういうこと…」
いや、後でまとめて書こうと思ってそのまま放置していたのだろう。
次のページをめくった。
『ロニーが好き。』
何で、どうして。
疑問符が頭の中にいくつも浮かんだ。
ページをめくったり戻したりしても、何も変わらない。
書いた跡を辿ろうとしても、何もない。
思い出そうとしても、そこだけ灰になってしまったように思い出せない。
「リウ」
突然声をかけられ、飛び上がるほど驚いた。
振り向くと、手燭に火を灯したロニーがいた。
ゆらゆらと影が揺れている。
「ロ、ロニー。いるなら教えてよ…」
「リウこそ。真っ暗な部屋から気配がしたから、俺だってびっくりしたんだ」
「あ、ごめん…」
慌てて本を閉じ、棚に戻した。
「暗い所で読むと、目悪くなっちゃうよ」
「そうだね、気をつける」
当時の自分は何がしたかったんだろう。
何が起こったんだろう。
思い出せないことに不満を抱えながら、夕食の支度に取り掛かった。
冬の始まり
紅葉した木々は葉を落とし、一段と冷える季節が始まった。
暖炉に焚べられた薪はパチパチと火の粉を舞い上げた。
「そういえばこんな季節だったな。リウさんがこの国に来たのも」
「春直前とはいえ、寒かったよね」
腕枕をされ、背中から抱きしめられるような格好でベッドに潜り込んでいた。
アンガスの温もりが、服越しに伝わってきた。
「お腹の子は大丈夫か?」
「うん、たまに動いてて元気だよ」
「無事生まれるといいな」
首すじに柔らかい感触が触れ、キスをされているのだと分かった。
「ん…」
彼の方を向くと、唇を塞がれた。
蕩けるような口づけに、身体が欲するのを、何とか抑えた。
「こんな風になるなんて、出会った時は夢にも思ってなかったよ」
唇を離し、慌てて話を戻した。
アンガスは首を傾げた。
「告白しようと思っていたら、いつの間にかロニーと付き合っていたからな」
「えっ」
「あの時、リウさんが来なかったから俺は諦めたんだ」
「あの時? いつのこと?」
「覚えていないのか? 春の半ば、幸運の塔に来る約束をしただろう」
「約束? そもそも、私達そんなに会っていた?」
「よく釣りやハーブ摘みをしていただろう」
「そ、そうだっけ」
そんな頻度でーー?
どんなに記憶を辿っても、花束を貰ったあの日しか思い出せなかった。
「実はあの時、旅人服を持っていたんだ。リウさんが幸運の塔に来てくれたら、この国を出るつもりでいた」
「そうだったんだ…」
彼は独りで立ち尽くし、自分を待っていたのだろうか。
あの時自分は何をしていたのだろう。
記憶すら曖昧な自分が申し訳なくなった。
「ごめんなさい」
「謝ることはない。リウさんが今幸せなら、それでいいんだ。過去を責めてはいないから」
お腹を気遣ってか、軽く抱きしめられた。耳に吐息がかかる。
「手で、しても良いか」
顔が熱くなり、無言で頷いた。
するりと手が股下に伸びてきて、下着の上を前後に辿った。
与えられる刺激は緩やかでもどかしく、彼の袖を掴んだ。
「欲しそうな目をしているな」
「だって、んっ」
妊娠してからずっと、そういった行為はしてこなかったのだ。
擦られるだけで声が洩れそうになる。
「あっ、ふ…」
「産まれて落ち着いたら、また沢山しよう」
下着の中に手が入ってきた。
良い所を、指先が何度も往復した。集中的に擦られ、身体がびくびくと震える。
「ん…ぁっ…!」
快感が、弾けた。
一つ大きく震えると、彼の袖とシーツを強く握りしめた。