来訪者
コンコン、とノックする音が響いた。
気づけば炎は消えていて、瞼を挙げればカーテン越しに日が差していた。
「リウ、今入っていい?」
「あ、はーい」
ベッドの上で身を起こした。
ドアがガチャリと開き、ひょこっと顔を覗かせたのはカピトリーナだった。
彼女の後ろからロニーが現れ、カーテンを開けていった。
白い光が部屋の中を照らし、もうお昼なのだと気付いた。
「ごめんね、疲れてるところ。出産祝い持ってきちゃった」
「そんな、いいのに」
「いいのいいの。あたしの孫の時もくれたんだから」
異国から取り寄せたであろう果物がいっぱいに盛られたかごが、ベッドサイドのミニテーブルに置かれた。
「わあ、ありがとう」
「ルカにはミルクあげておいたよ。あとはごゆっくり」
「ロニー、邪魔しちゃって悪いねぇ」
「そんなことないよ。マリンの時もスノウの時も、ありがとう」
ロニーはイム茶とチョコクッキーをテーブルの上に置くと、踵を返した。
部屋のドアがパタンと音を立てた。
カピトリーナは椅子に腰掛け、クッキーを頬張った。
「名前、ルカっていうんだね。ありゃあブヴァール家の青い瞳だよ」
「…やっぱりそうだよね」
見る人が見れば分かってしまうのだろうか。不安はいくら考えても尽きなかった。
「ま、悩んでも仕方ないさ。それより彼には…」
「うん、伝えてある。びっくりするほど笑顔だったよ」
「何だかアイツの笑顔って…ちょっと気持ち悪いね」
カピトリーナが怪訝な顔をして言うものだから、可笑しくて笑ってしまった。
すると、再びノック音が聞こえた。
部屋に入ってきたのは渦中の人物だった。
「おっと、噂をすればだね」
「カピトリーナも居たのか。ん、何のことだ?」
低い声が鼓膜に心地良く響いた。
ルカを見てくれたんだろうか。
可愛い男の子だよね、アンガスに似てるよ、と言いたい気持ちをぐっとこらえた。
「別に、何でもないさ」
「ふむ。そうだ、リウさん。出産祝いなんだが…」
「あ…ありがとう」
手渡された物は、スノーマンの形を模したベビー服だった。
出産祝いという名目の、父から息子への贈り物。
きっと悩んで買ってきたのだろう。仕立て屋さんの前で顎に手を当てる彼が容易に想像できた。
真っ白でふわふわの生地が、ルカによく似合いそうだった。
出産の度に、周りの人達が何かしらのお祝いを持ってきてくれていた。
特にカピトリーナとアンガスは三回とも欠かさなかった。
「二人とも、いつもありがとう」
アンガスと目が合った。
群青色が胸を熱くさせた。
ドアがまた開き、トレイにイム茶を載せたロニーが現れた。
「アンガス、いつもすまないな」
「ロレンテ家とブヴァール家の仲だ、当然だろう。ああ、長居は出来ないんだ、淹れてもらったのに悪いな」
「何かあるのか?」
「これから公務で、デヴォン国まで行かなくてはならないんだ」
「デヴォン国…!」
デヴォン国といえば、遥か昔から親交の深い農業国だ。
この国の農業は、そこから伝わったとされている。
カピトリーナはイム茶を啜りながら口を開いた。
「王子サマも大変だねぇ。行き帰りの行程だけで相当かかるんじゃない?」
「そうだな。帰って来る頃には丸一年経っていそうだよ」
アンガスは苦笑を浮かべた。
「そうか…だから来年の近衛トーナメントに、お前の名前が無かったのか」
「ああ。アンテルムは子供がまだ小さいし、ティムは来年魔銃導師でな。急遽俺が行くことになったんだ。はは、独り身は使い放題だからな」
「むしろ大役じゃないか。国民としては有難い限りだよ、本当に」
ロニーが目を細めると、アンガスもつられて笑みをこぼした。
「そう言ってもらえるだけで、行く気が湧いてくるよ」
「気をつけて行ってこいよ」
会話が流れていくものの、内心動揺していたせいで、話にうまく加わる事が出来なかった。
来年一年間、自分ひとりでやっていけるのだろうか。
誰も味方がいない中で、ルカを守っていけるんだろうか。
カピトリーナがこちらを向いたのが視界に映った。
顔を上げると、彼女は片目を瞑ってにっと笑った。
そうか、ひとりじゃなかった。
ありがとう、と声を出さずに唇を動かした。
「そろそろ俺は行くかな」
「あたしも帰って夕飯の準備しなきゃ」
アンガスとカピトリーナが帰り支度を始めた。
「二人共、本当にありがとね」
ベッド上で動けない代わりに、ロニーが玄関先まで送ってくれるようだ。
静寂が部屋に満ちた時、ぽろりと涙が落ちた。
………
夕焼けの始まり、黄金色の空が広がる。
樹々も石畳も染められ、冷えた街全体が輝くようだった。
この国に、必ず帰ってこなくては。
そう思いながら、横を歩くカピトリーナに話しかけた。
「カピトリーナ、貴女は知っているんだろう」
「えっ」
「あのリウさんだ。抱えきれなくて貴女に相談することくらい、目に見えている」
「…そうかい。ご推察の通りだよ」
足を止めると、彼女もまた歩みを緩めた。
「俺が居ない間にもし何かあった場合、二人を頼む」
他人に頭を下げたのは久々のことだった。
「これ以上リウを泣かしたら、ただじゃおかないよ。約束しな」
「…分かっている」
今までも、リウさんは独りで何度も泣いていたのだろう。
抱え込んで我慢する性格を、カピトリーナもまたよく理解している。
「しっかしさ、未練たらたらだよねアンタもさ。そんなに想ってるのに、告白しなかったの?」
「いや、告白しようとした日に来なかったんだ。…そうだ、カピトリーナ。あの日何があったか知らないか? 192年の春の半ば」
「さぁね…そんな昔のこと、覚えちゃいないさ。あの子が約束を破ったり忘れたりするなんて、滅多になさそうだけどね」
「そうか…」
滅多になくても、可能性はゼロではないのだろう。
昔のことを考えても仕方ない、今は公務を早く果たすことを考えよう。
カピトリーナに礼を言うと、足早に帰路についた。
ルカは可愛かった。自分の子かと思うと、抱く手が震えた。
目と唇が自分によく似ていた。
帰ってきたら、どんな顔をして会おうか。
「早くも親バカ、だな…」
口元が緩まないか、それだけが心配だ。